東京地方裁判所 昭和28年(行)22号 判決
原告 大崎正男
被告 国
一、主 文
原告が日本国籍を有せざることを確認する。
訴訟費用中昭和二十八年六月三日証人山本敏雄に給与した分は原告の負担とし、その余を被告の負担とする。
二、事 実
原告訴訟代理人は、主文第一、二項と同旨の判決を求めると申立て、請求の原因として、
「原告は大正八年三月二十一日アメリカ合衆国ハワイにおいて日本人大崎荘吉、マサ間に出生し、日米両国籍を取得したが、昭和二年十月十七日日本国籍を離脱した。その後原告は昭和十七年七月下旬頃日本国籍回復申請をなしたところ、昭和十七年八月十八日附を以てその許可があり、広島県佐伯郡二十日市町八番地に一家創立の旨戸籍に記載された。
原告が右許可申請をなすに至つた経過は次の通りである。原告は昭和十一年単身来日し、横浜専門学校に入学したのであるが、昭和十六年十二月八日太平洋戦争の勃発と共に、米国籍を有する原告は滞在旅行等に一々許可を受けねばならなくなり、スパイ嫌疑をも受け、特高警察官の取調、調査を受けることも再三に亘り、その上食糧事情は次第に悪化し、敵国人に該る原告に対する食糧配給の状況も予断を許さない情勢にあつた。昭和十七年七月下旬原告が二十日市町の警察署に出頭した際、特高係りの警察官より、原告が日本国籍を取得しない以上旅行も許可が必要で自由にはできないし、食糧配給上の制限や抑留されることもあり得るし、又原告は生来日本人なのであるから是非日本国籍を回復するようにと言われ、たまたま昭和十三年原告の母が来日して居たが、戦争勃発によつてハワイとの交通が絶たれた為原告において母を扶養しなければならなかつたのであるが、前述の通りの情勢下において原告が抑留されるにおいては母の生活もできなくなるので、原告は日本国籍を回復する意思はなかつたのではあるが、原告と母の安全を脅かされることを恐れやむなく日本国籍回復の許可申請書を提出したのである。
以上の如く原告は日本国籍回復の意思がなかつたにも拘らず、やむなくその許可申請書を提出したものであつて右申請は原告の自由なる意思決定に基いてなされたものではないから当然無効のものと言わなくてはならず、右申請を前提としてなされた前叙回復許可も亦無効たるを免れない。従つて原告は日本国籍を有しないものであるからその確認を求めるものである。」と述べた(立証省略)。
被告指定代理人は、請求棄却の判決を求め、
「原告主張事実中、原告が大正八年三月二十一日アメリカ合衆国ハワイにおいて日本人大崎荘吉、マサ間に出生し、日米両国籍を取得したが、昭和二年十月十七日日本国籍を離脱したこと、昭和十八年八月十八日附を以て原告に対する日本国籍回復許可があつたことは認めるが、その余の事実は争う。
原告はその自由なる意思決定に基き日本国籍の回復許可申請をなしたものである。」と述べた(立証省略)。
三、理 由
原告が大正八年三月二十一日アメリカ合衆国ハワイにおいて日本人大崎荘吉、マサ間に出生し、日米両国籍を取得したが昭和二年十月十七日日本国籍を離脱したこと、その後原告の日本国籍回復許可申請がなされ、これに対し昭和十八年八月十八日附を以てその許可がなされたことは当事者間に争がない。然し乍ら右回復許可申請が原告自身の意思に基いてなされたものと認むるに足る証拠はなく、却つて証人大崎マサの証言並に原告本人訊問の結果を総合すれば、原告は昭和十一年来日したが、太平洋戦争勃発以後は原告が米国籍を有して居た関係で原告は勿論原告の母までが諸種の圧迫を受けて居たが原告が、昭和十七年七月広島県佐伯郡二十日市町の警察署に出頭して滞邦許可を願出たところ、右願出は許可されず、日本国籍を回復するように署員より要求せられ、回復しない時は憲兵隊の方で面倒を見るようになるだろうなどと言われたので、当時原告が在学中であつた横浜専門学校の教授の中で米国人なるが故に勾留された事例もあり、そうなつては原告が扶養して行かねばならない原告の母の生活も脅かされることになるので、原告は日本国籍を回復する意思はなかつたが畏怖の余り直ちに日本国籍回復許可申請をなしたものであることが認められるのであつて、右事実からすれば、右許可申請は真に原告の意思に基いてなされたるに非ざることは明らかであるから右回復許可申請は当然に無効なるものと言うべく、従つてこれを前提としてなされた右回復許可も亦無効であり、原告は日本国籍を有せざるものと言わなくてはならない。
以上判示の通りであるから原告の本訴請求は正当としてこれを認容し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条第九十条を適用して主文の通り判決する。
(裁判官 毛利野富治郎 桑原正憲 山田尚)